「自己満足のため」に行動すべき理由

マイナビウーマン

誰かのために行動すると、なぜかこんな言葉を投げ掛けられる。

「それって自己満足じゃない?」「偽善者っぽいよね」。

これらの言葉は優しさを持ち合わせぬ心の冷たい人間が、優しい人間をバカにするために使う言葉で御座います。

■自己満足の意味

自らの行為に対して「自己満足」と言われた時、「え? 自己満足って言われたけど、どういう意味?」なんて戸惑ってしまうかもしれません。

ここでおさらいすると、自己満足とは「自分自身に、または自分の言動に、自分で満足すること」(出典:『デジタル大辞泉』)を指します。

つまり、もし嫌みとして人に言われた場合、「誰かのためじゃなく、結局自分の気分が良くなるから行動してるんでしょ」というネガティブな意味なのです。

■全ての行為は“自己満足”

自分で言うのは少々恥ずかしいのですが、私は電車やバスなどで積極的に席を譲るタイプの人間で御座います。

もちろん「ご年配や妊婦の方に座っていただきたい」という気持ちからなのですが、そもそも私はなぜそう思うのでしょうか。

この気持ちが生まれる原因を考えると、「そうした方が私は幸せだから」というものでしかありませんでした。

席を譲って喜んでもらえればうれしいですし、自己肯定感も満たせます。

それに、仮にお礼の言葉が無かったとしても「良いことをした」という“自己満足”で自己肯定感を高めることができるでしょう。

そう、全ての行為は“自己満足”なので御座います。

ですので、もしも自己満足の優しさを偽善というのであれば、全ての優しさは偽善ということになるでしょう。

なのに「それは自己満足で偽善だよ」などと言う方は、自己満足ではない“本当の優しさ”なんてものがあると勘違いしている、精神的に未熟な方なのではないでしょうか。

■「偽善者」と呼ぶ偽善

前述したように、全ての優しさは自己満足であり、それ以上でも以下でもありません。

ですので、私たちが人に優しくする時は「これは自己満足である」と自覚することが重要でしょう。

しかし、自己満足だろうがそうでなかろうが、相手がそれで救われているのであれば、何の問題も御座いません。

それなのに、その行為を偽善などと呼び、自分では何もしないというその行動こそ偽善なのではないでしょうか。

もしも皆さまが「それは自己満足」と誰かから言われたのであれば、実際に口に出すかどうかは別にして、こう考えていただければ問題御座いません。

「これを自己満足と言うのであれば、自己満足ではない優しさの例を1つでもいいから教えてくれ」と。

繰り返しますが、偽善だろうが自己満だろうが、相手がそれで救われているのであれば、何も非難されるような話では御座いません。

偽善者は人を救うことができますが、人を偽善者呼ばわりして何もしない方は決して人を救いはしないのです。

■この世には自己満足しか存在しない

全ての善行は、それを行うことで自己満足し、自分が気持ち良くなるから行われるものであります。

それを「自己満足だ」と非難されることがあったとしても、その行為に救われている人がたくさんいるはず。

「傍観したり何もしなかったりすることが、一番の悪」と心に刻んでおきましょう。

(ラブホの上野さん)※画像はイメージです。

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